眉毛を整えると顔からゴリラみがマイナス35ポイントされる気がするのでなんとなくやろうと思った時に眉毛を抜いて形を整える。
多分人生で10回くらいしかやったことないけど、毛抜きのことをよく見ているとなんとなくコツが掴めてきた。といったところだろう。何かを始めるのに遅すぎるということはないが、早すぎることはたくさんあると思う。体の使い方がわからないのに、踊りを教えてもうまくいかないでしょうきっと。
今日の日記はアツいですね。
続けるための文章には燃え続ける力があり、自分のために書かれた文章は土の中で萌える日のよう。わたしのおしりをじんわりと温めてくれます。
少ない薪で効率的に温まるために、起こした火に土をかぶせるらしいです。ゴールデンカムイのマタギキャラから学びました。
みんな自分への評価が厳しくて大変そうだな...って常日頃思っています。というのも、わたしは自分のことを好き嫌いとかで判断したことがないから。好きか嫌いかって言われたらまあ、嫌いじゃないので好きってことになりますかねえ...。
自分に対しての猜疑心があるという人たちがいるということを知っていながらこういうこと言うのはどうかと思いますがお風呂入りながらずっと考えてました。
気が強くて芯がある快活な女がわたしのパブリックイメージだと思ってます。芯なんかどこにあるんすかね。ふにゃふにゃの芯をやわらかく通して行きたいとは思います。嫌なことされたら嫌なことしてもいい。優しくされたらもっと優しくしようっていうモットーはある。
わたしは大人の自我(学生じゃなくなったってだけのもの)を手に入れてから、ずっと他人の心配をしていた。相手より辛くなってしまったり、恋人の精神状態をサポートしてみたり、なんかもうそれは意味わかんないくらいに他人のことばかり考えていました。
しかし去年くらいに急にそのターンが終わり、自分のことだけ考えればいい時期に突入しました。手持ち無沙汰で、どうしていいかわからない時期が続いていたけれど今となっては他人なんかマジでどうでもいいなあ(嫌な気持ちにさせてくる奴は心をバキバキにへし折ってやると言う野望を抱えていますが)
わたしは他人を褒ることができる時に褒め、心配できる時に心配し、怒れる時に怒る。シンプルになっちゃいました〜アハハ〜
問題児って面白いと思います。わたしも問題児でした。でも子供の問題児はちゃんとした原因がある気がする。体力もめっちゃあるしね。子供が大人の手に届くところにいる時になにか問題が起きた場合、原因になるのも手を差し伸べてあげるのも大人だと思っています。わたしは子供のこと別に好きじゃないです。でも子供は面白いから、面白い奴は好きです。
それにしてもみんな自分に対して厳しすぎるよ!!!
脳みそにいる自分が、心にいる自分を傷つけすぎじゃない?自分とはずっと付き合っていく物なんだから嫌いになっても意味ないよ。崖で友人の手を掴み損ねて殺してしまったわけじゃないんだから。
俺は逆だよ!!!他人に厳しいと良く言われる!!!そんなつもりはないしそんなことはないと思う!!!自分も他人もどうでもいいんだよ心底。だって他人なんだもん何にもわかんないし。
ちょっと質問。
信用してない自分が自分へするその評価、本当に正しい?!??!??
過去の行いからずいぶん時間経ってるから、変わってるんじゃない?
本当の自分を出すのって、本当の自分を出してくれる人の前でしか出せなくない?
自分みたいに考えて悩んでる人がいたらなんて声をかける?
わたしは「んも〜うんこぶりぶり〜」です。
ごめんなさいなんかほんとデリカシーがないですよね。
でも、ほんとみんな素敵な人だから自分がどうとかであたたかい気持ちとか、生活?生きていくことに対するあたたかい気持ちとか、音楽を聴いて胸が熱く瞬間に疑問を持って欲しくないなって思うんです。
自分の力でどうにもならないことっていっぱいあるじゃん。政治とかなんつーか、欲とか、生まれとか、お金とか、ぷりぷり💩
子供ぶるんじゃなくて、子供のような気持ちでいたいな。
わたしは自分のこと信用しているわけでもないけど、ものすごく疑っているわけでもない。
わたしはわたしを「ちんちくりんで部屋に物が散らかってる言い訳上手な人」だと思っています。
ちょっと前の写真なので今は洗濯物の山が空高く聳え立っております←凄い漢字
あ、今せんべいを踏み潰しました
P.S.
でもやっぱりこんなこと書くもんじゃないのかもって思ったけど、誰かに返信してる訳じゃなくて世間へ投げかけたことなので。。。
うーん、