みんなの交換日記

つながりがなさそうであるみんなの自由参加型交換日記ブログ

2月9日さくら

 明日は東京も大雪が降るかもと知り、ソワソワしています。仕事帰り、スーパーに寄って、明日買い出しに出なくても済むように、うどんやら缶詰やらを買い込んで帰りました。どうやら同じことを考えている人はたくさんいるようで、野菜がすっからかんでした。

同居人の一人は、電車が止まれば仕事が休みになるらしく、電車の運行情報を気にしていました。電車が動かなかったら、朝、フレンチトーストを作ってくれるらしいので、もうみんな明日はおやすみにして、家で甘いもの食べてぬくぬくしてたらいいのよ!という気分です。

 

 2年前くらいから、散歩中、家での仕事中、寝る前、ずーっとラジオを聞いています。芸人のラジオがほとんどです。真剣に聞かなくても困らない、しょうもない、たわいのない話にクスクス笑って、頭をすっからかんにできるのが、好きで、気付いたらひとりの時間は大体ラジオを聞くようになっていました。ラジオを小さいボリュームで聴きながら寝落ちするのがルーティンです。

 ラジオって毎週放送しているから、放送までの1週間の中で起きたことの話がメインになる。日々の生活の中で目撃した、遭遇した出来事を聞けるところが、少し人の日記を読む感じに似ているのかも!テレビとかよりも気張らず、自分たちの言葉で、自分たちのペースで話しているので、変に編集もされていないところも良いです。

 

今週、ポッドキャストで聞ける「ジェーン・スー堀井美香のOVER THE SUN」という番組を見つけて、どハマり。ジェーン・スーはコラムニストとしてエッセイとかを書いたりしていることは知っていたけれど読んだことはなかったし、アナウンサーの堀井美香さんのことは全く知らなかったのだけど、2人の会話がとにかく明るい。笑い方が二人とも豪快で、良い。いくつになっても馬鹿笑いってできるんだわってちょっと安心したの。

 「離婚」がテーマの回で、リスナーに離婚にまつわるエピソードを募集したところ、離婚した元夫がたまに家にご飯を食べにくるのだが、なあなあの関係にはなりたくないから、毎食500円取っているというリスナーの話を受けて、そこから「家族」の話になり、その話から色々考え込んでしまったので、少し書いてみようかなと思います!

 500円は、クーポン券的な感じで、肩たたき券とかそういうものって家族の象徴じゃないかしら?だから、それは家族のままなような気がする。家族は原価でいいけれど、家族じゃなくて他人になるなら手間賃も取らなくちゃ、だから1500円は取るべきよという話になったんです。

家族の形って多様にあっていいのにって考えている。結婚という制度を通さずとも家族になってもいいのに、血が繋がっていなくても家族ってよんでもいいのに、なんて思うのですが、ただ、じゃあ家族になるってどういうこと?とちゃんと考えたことってあんまりなかった。新しい家族をつくるということについて、まだまだ自分からは遠すぎて。

他人から家族へのそれってどういう風に変化していくんだろう?経験したことがないのでよくわからないのだけど、「家族は原価、他人は手間賃込み」という表現は、なかなかパンチがあった。見返りを求めないってことなのかしら。最終的には何があっても許すってこと?自分で稼いだお金を誰かのために使うことをいとわないってことなのかしら。損得勘定で動かないってこと?どういうことなんだろう?わからないことばっかりだ!ただ、脳に残る言葉だった。

 今、わたしは同い年の女の子と3人でシェアハウスをしていて、つい先日、「だんだん家族みたいになってきたね、会話のテンポとかが」と友だちが言っていて、おそらくいい関係性だねという意味だったと思うのだけど、わたしは、この共同生活に「家族」を感じたことはあんまりない。それは決してマイナスな意味でもドライな目線でもないんだけど、でも、なぜ「家族」とは思わないんだろう?というのが、つい昨日生まれた疑問。

 生活を共にしているという感じはするし、助け合っている感じもするし、楽しい、嬉しい、悲しい、ムカついたも共有しあっている感じもする。だけど、あくまでも、それぞれが自立した、独立したひとりひとりが同じ家に住んでいるという捉え方をしている。いつでもここを出ていけるし、他の誰かと一緒になれる。

 一緒に住んでいるけれど、ひとり暮らしをしている感覚で家事や料理をしようと意識している。そうしたら、他人への不満が減ると思うので。できるだけ誰かに任せずにいたいと思うし、できるだけ、2人の生活に干渉しないようにしようと思っている。そして、できるだけ2人に頼らずに生活しないとという気持ちがどうも強い。(そう思っているだけであって、実際はすごく頼っているし、とても助けられている)あ、あと、一緒に住んでいるくせにいまだに生活費で損をしたくないって思っちゃう。その度に、ああわたしってまだまだ心が狭い!どうしてこんなにドケチなの!と落ち込むんだけど。ただ、自分のドケチ精神をあんまり押し付けてもいけないなって思ってもいる。お互い様なことがあるはずだから。難しいね。ひとりだったら生まれない葛藤。

とはいえ、やっぱりわたしは一人で暮らすよりも誰かと暮らした方が楽しい。豊か。ひとり暮らしをしていたこともあったけれど、気楽だけどちょっと退屈だった。誰かと一緒に住んでいると、わたしの毎日が平凡で何も起こらなかったとしても、他の2人の毎日の出来事を面白がることができるし、予想外のことも起こるし、新しいことが舞い込んでくる。ひとりだと重い腰がなかなか上がらずにいたことが、2人のおかげで始められたり、影響しあっていることがわかる。すっごくありがたい存在。

だからこそ、「家族みたい」という言葉への違和感の正体を知りたい。もしかしたら「家族」に対する固定観念がまだわたしにあるからこその違和感なのかもしれないし、いろいろ考えた結果、私たちの関係性を「家族」と呼びたくなるのかもしれないです。

大人になれば、わからないことがどんどん減ると小さい時は思っていたけれど、歳を重ねれば重ねるほど、わからないことが増えて、わからないに埋め尽くされていっているような気がしています。わからないと仲良く付き合っていくしかないですね!

 

家族になるということについて考えたことがあったら教えてほしいです〜〜〜