前の家から1年9ヶ月足らず、更新に急かされた訳でもなくヒョンなことからお引越ししました。
お金がない寧ろ次のボーナス来るまでマイナスではないかと言う生活の中、介護生活していた祖母が施設に入りまして、ちょっと落ち着いた頃です。
前の私の家にはストーカーがいらっしゃいました。知ってる人も知らない人も、元彼もレイプ犯も、見覚えのない女性も。
ははんそうか応戦だ、くまスプレーだと玄関と小脇に携えて過ごしていたのです。
お陰様で反射神経は鍛えられたのですが、そんな訳でなくそれを心配する人もいたみたいでした。
自分の生活は可もなく不可もなく過不足なく過ごしていたので、焦りもせず焦らされもせず自分の感情のままいればいいと思ってました。
人に合わせるのが苦手なのです。合わせなくても、合えばいいナくらいです。
新しい家は、到底給料には届かないところ。
横浜の田舎育ちの私はこの家賃であり得ねえ狭えと思ってしまったけれども、前の家よりは到底広い良いお家です。
訳あって前の家の契約はそのまま、不要不急な本棚丸ごとを除く、家具もそのまま置いていくことになりました。
新しい家は、祖母と母と一緒に笑ってくれる人と所謂同棲をすることになったのです。
生活に必要なものを何足りないあれ足りないを反射的に上げて選ぶ。
例えば、収納はニトリでいいけどハンドソープは違うよね、椅子はこれだよね。リストにあげるとこんなに生活に必要だったっけ?と思える。
ほとんどの家具は、リプロダクトで選んでた私は一蹴される。
本物の方が長く持っていられるよと、金銭感覚が違うけれども、スーパーのあれ安いこれ安いはわかり合いました。
面白い生活。ダラダラとしていた日々がパリッとして、柄にも合わず朝から掃除機をかけたりしています。
あとどれだけここに住めるんだろうと思いながら、家の中に私の空間と時間を広げます。
何不自由ない生活の中、不自由が好きだなとも思います。
今何があっても自分で生活できると思えて、それだけでいいなと思う。
年齢でボケたりゼェハァしても、一緒にいる人達も同じだと。
悲しいことイラッとすることネガティブだと言われる感情が楽しめたらいいと、もっと本気で悲しませても苛立たせてもいい、時間も大事だけれども、時間が基準じゃないなと思いました。
ぎゅんっとびゅんっとしたいです。