みんなの交換日記

つながりがなさそうであるみんなの自由参加型交換日記ブログ

3/30 しだ

 

今月から自動車学校に通っている。とっくの昔に取り終わった免許だけれど、それから一度も運転せずに6年経ってしまっていた。都会暮らしでは、電車で十分だったから。この春からはついにマイカーを迎えることになったので、ペーパードライバー講習に通い始めたのです。

 

自動車学校の待合室は、高校を卒業したばかりの子たちや、高齢者講習を受けるお年寄りで混み合っていて、石油ストーブのにおいが人口密度をより高めているような気がする
ここにいると、自分が社会のどこに属しているのかわからなくなる。大人なのか、子供なのか。忙しいのか、暇なのか。いるのか、いないのか。ものごとの境目が曖昧な場所。それは不思議と居心地がいい。いろんなことをうやむやにできる気がするから。


最近はなんだか、考えることを延期している。中止ではなく、中断、なのだと思う。
きっぱりと判断することや、重い考え事をすることができないので、いろんなことを直視せずに過ごしてしまう。逃げている。なぜだろう。そしてなにから?


直視できないこと。
それは例えば、おじいちゃんとおばあちゃんの顔をしっかりと見つめることができないこと。久しぶりのふたりとの生活は愛おしい毎日で、二年ぶりに帰った家なのに、昨日まで一緒に夕ご飯を食べていたような変わらない親密さをすぐに思い出すことができた。
変わったことは、祖父母はわたしの想像よりも歳をとっていて、小さくなっていたこと。
二人の顔を見ると、いつか訪れる離れ離れになる日が来ることを想像してしまって、やるせない気持ちになる。わたしは家族とのお別れに耐えられる強さは持ち合わせていないのだとわかって、不安になる。大人たちはすごいなと思う。いままで沢山、乗り越えてきたんでしょう?

 

こういった種類の悲しみは人生でいっぺんに来て、それきりなにも起きなければいいのに。なんて、無茶苦茶なことをたまに考えたりする。
反対に、こういった種類の悲しみを想像してつらくなっているのはおかしい、とも考えたりする。家族よりも自分の方が長く生きると思い込んでいるのだから。それくらい明日何があるかわからない世界だよ、

久しぶりの考え事だったので少し疲れてしまった。とたんに、思いがけなく大きなため息が出てびっくりした。待合室でわたしのそばに座っていた少年の驚いた顔と目があった。

それから5分後くらいに、同じ部屋にいる女性も大きなため息をついた。そうだよね、こんな春の日だからね。誰もが緩んでいるのかもしれない。今日はやけに暖かい春の日だから。