夕日が綺麗だった日の夜の空気は、いつもよりいい匂いがする。
というのは多分気のせいなんだろうけど、それくらい久しぶりに神々しい夕焼けを見られて気分が良かった。
西は真っピンクで、東はどんより重たい曇り空だったけど灰色というよりは色をそのまんま抽出したら多分青。
巨大な絵画。オーロラ。地球外生命体がこれを見たら地球人羨まし〜となるに違いない、とひとりで勝手にわくわくしていた。
空が綺麗だから、というのも生きる理由として充分なんじゃないかと思えた。
自分のことをとことん認めたら楽になれる、らしい。
だから、自分のあまりの不器用さや間抜けさに自分のことを嫌いになりそうになると、最近は「生きるの下手くそでカワイ〜☆わたし☆」と、心のなかで言ってあげたりしてる。
自分のことを認めるとはこういうことなのか…?と、"なんか違う感"は微かに持ちつつも、それでも実際楽になれるのだから少なくともわたしにとっての正解ではあるんだと思う。
なんだか今年はぼや〜っと夏が終わったな…
岩手はもう完全に秋なんですけど東京とかのほうはどうなんですかね。
ずっと誰かを羨んで誰かみたいになりたくて、結局何にもなれないまま、何もわからないままふわっと生きてたら、夏が終わった。
7月に買った本もそういえばほとんどが読みかけな気がする。
最近宇宙系の話が好きで、宇宙の話の本買っちゃったんですよね。
難しい言葉を使わずに、だれかと宇宙の話ができたら楽しいだろうな〜と思ってます。
宇宙のことなんて誰もその全貌を知らないんだから、科学とか数学とか難しい話は抜きにして、好きなように想像膨らませてオッケー。
授業じゃないので先生はいないし間違いを恐れる必要もない。
だから「間違えてもいいんだよ!」と言いつつ生徒が見当外れなことを言ったら難しそうな顔をしてなんとか肯定の言葉を捻り出そうとする大人の"気遣い"に気まずい思いをする必要もない。
最近わたしが推してる説は、牛や鶏が家畜されているように、人間もいつかどこか遠くの星の生命体によって家畜化されるのではないかということ。
たとえば地球そのものが牧場みたいなもので、月に一度くらいにでっかい宇宙船で人間を"収穫"しに来るとか。
どうすかねこの説。
もはや宇宙の話と言うよりSFの世界ですけど。
ところでなんでわたしはそんなに「何者か」になりたがるんだろう。
そもそも「何者か」の基準もよくわからないし。
職業のことを言ってるならそれはもう明確だし、性格のことを言っているなら自分の短所も長所もよくわかっているつもり。
多分、望んでもどうしようもない「理想像」が自分のなかにあって、それになれない限りは永遠にこの「何者でもない」という感覚を持ち続けているのかもしれない。
例えば、美人でお金持ちで素敵な恋人がいる仕事バリバリのキャリアウーマン、みたいなものがわたしの理想像なのだとしたら、その要素のどれかひとつでも欠けていたらわたしは「何者でもない」と思ってしまう。
自分が何者かわからなくて不安になる現象は、要は「これが世間で言う幸せってやつだろう」という偏った固定観念に囚われて現状に満足できなくなって、自分にとって何が幸せなのかがわからなくなってる状況なのかもしれない。
幸せそうな人が自分を持っているように見えて、幸せでないわたしは何者でもないように感じる不思議…
あとは、多様性多様性と言われる今の社会で自分がどこに属しているかわからないことに対する漠然とした不安。
多様性ってなんだよ。
多様性という言葉を乱用しておいてなんでも分類したがるな。
"カテゴリー"が増えれば増えるほど、どこにも属せない自分の異質性が鮮明になっていく気がする。
多様性を認めるなら、正直「「「ほっといて」」」ほしい。
?あれ、何の話だ?
答えが見えた気がしたけど、よくわからなくなってきたな。
自分が何者であるかなんてまともに考えてたら答えが出る前に寿命が来てしまいそうな感じですね。
たぶんそんなの生きてるうちは答えがなくて、死んでからわかるものかもしれないですね。
そんなこと考える前に、目の前のことに集中します。
明日は金曜日イー!
ホンジョウ