昨日は職場の飲み会に行き、なんだかわたし場違いだなあと思いつつ、この場をどうにかして楽しまなければ…という気持ちからか、今まで飲んだことのない量のアルコールを摂取したら、死を感じました。
と言っても、元々ほろよい一本も飲みきれないアルコール不向き体質なので、量的にもスピード的にもそこまで飲んだわけではないのですが。
トイレに向かう途中激しい耳鳴りと目眩で立てなくなり、ドラマとかならこういうときに誰か優しい人が助けに来てくれたりするのにな〜…とか脳みその片隅で想像しつつ、でもこんな姿誰にも見られたくない!という気持ちもあり、ああこのまま死ぬかも〜と思ったけれど、この状況がなんだか他人事というか、自分に起きてることのように思えなくて、あの瞬間意識は空中に浮いてたのかもしれない。意識が遠くにあっても、体が自分の意思とは関係なく動くのが不思議でした。
それでもなんとか立ち上がり、トイレの中でツイッター見るくらいには正気でした。いや、むしろ正気じゃなかったのかもしれない。朝起きたら、昨晩ちょうどトイレにいた時間帯に呑気な自分のツイートが残されてました。
朦朧としてたわりに文章がまともなことに感動した。
夜も頭痛で眠れなかったんですが、あまりにも痛いのと眠いので、なぜか「この頭痛はわたしのものじゃない…誰かの痛みをわたしが背負ってるんだ…絶対そうだ…」と本気で思い込んでいました。
でも段々と眠気が覚めてきて、これは紛れもなく自分自身の痛みだと気づき、ようやく起き上がって薬を飲んでまた眠りました。
朝起きたら、インフルエンザの病み上がりみたいな感じでした。
まだ頭は重いけど、体はやけに軽くて、「健康幸せ〜〜」って思いました。
昨日浴びられなかったシャワーを浴びて、朝から洗濯機をフル回転させました。
若気の至り、って言葉、あんまり好きじゃない。
なんでもかんでもその言葉で誤魔化しすぎてる感じがして。でも若気の至りとしか説明しようのないこともあるので、一概に否定はできないのだけれど…
でも自分の失敗や反省を、「若気の至りだね〜」って大人に言われるのは嫌いです。これだけは言えます。
理由はよくわからないけれど、なんだか嫌。これも若さなのでしょうか…